フィルムディレクション: ウォルター・サレス氏

ピーター・コーウィ氏が、ウォルター・サレス氏をロサンゼルスの自宅に訪ねました。

ブラジル映画は、1960年代に一気に開花した後は比較的忘れ去られた存在でした。しかし1999年、ウォルター・サレス氏の感動的な作品「セントラル・ステーション」が世界中で様々な賞を受賞しました。サレス氏はそれ以前にもサンダンス映画祭での「Foreign Land」(1996年)で映画ファンの注目を集めていました。 その後も「ビハインド・ザ・サン」(2001年)、「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004年)と、順調なキャリアを歩んでいます。チェ・ゲバラの青年期を描いたこの作品は、上映される先々で大成功を収め、BAFTAの最優秀外国語映画賞、アカデミー賞®の最優秀歌曲賞、その他数多くの賞を受賞しました。

静かな自信をたたえ、非常に雄弁なウォルター・サレス氏は、ラテンアメリカの映画制作者たちに広く影響を与えています。彼がエグゼクティブプロデューサーを務めた「シティ・オブ・ゴッド」(2002年)は、欧米諸国にブラジル映画を強く印象付けました。また、映画史への造詣が深く、大抵の大学教授より知識が豊富です。

「サウンドの重要性に目を開かせてくれたのは、ジャン=リュック・ゴダールです。彼は、他の映画とはまったく違ったやり方でサウンドを扱っていましたから。ゴダールの作品では、サウンドと映像が完全に同期するということがありません。しかし、それが理解をもう一段深めてくれるのです。サウンドが非常に強力な物語る能力を持っていることに気づいたのは、その時です。自分の作品では、初めてゴダールのようなコンセプト、というより、自分にぴったりのコンセプトを見つけることができた作品が、『セントラル・ステーション』です。

「『セントラル・ステーション』は、2人の人間がアイデンティティを取り戻すという物語です。映画は、ブラジルの鉄道駅の喧騒から始まります。少しずつ物語の視点はこの国の内部へと入り込んでいき、2人の主人公の片方である少年が父親を探そうと苦闘する様子を描き出します。この映画について考えるうち、私たちはすぐに、サウンドデザインが作品に対する観客の感じ方に強く作用することができると気づきました。 つまり、駅の喧騒を伝える必要があるという点で、そこが全ての出発点、つまり失われたアイデンティティの空間、人々が単なる数で、大衆の一部にすぎない空間であることを表わすサウンドを用いる必要がありました。 その場所から離れれば離れるほど、彼ら二人は自分を取り巻く世界を深く理解できるようになっていくのです。そのために、25から30層もダビングを重ねた音を使って駅を表現しました。

「さらに物語は、この国の奥深くへと入り込むにしたがって、少年の仮想の父親に近づくに連れて、これらの複雑な音の積み重ねがより明確になっていき、特定の音がだんだん判るようになります。駅では、列車の音が聞こえ、ラウドスピーカーの音が聞こえ、無数の人々の話し声が反響するのを聞いていたのに対し『焦点』を持った音、実際に定義できる音を探し始めるのです。そして、人々のために手紙を代筆し、『投函』する主人公の女性に手紙の内容を口頭で伝える人々の声が聞こえてきます。

「これらの音の積み重ねは互いに強め合い、時にはぶつかり合います。 この国を移動するにつれて、使う音の積み重ねの数を減らし、それらはより明確になっていきます。 たとえば、犬の吠える声が非常にはっきりと聞こえるようになります。背景で子どもが何か歌っているのが聞こえるようになります。主人公たちが周囲の世界に対する理解を取り戻していく様子を表現したいときには、音の積み重ねをはっきりと減らしました。

「サウンドは、映画のこのコンセプトを明確化するうえで非常に重要な役割を果たしました。この行程のあらゆる段階で、サウンドと映像は一致して進行します。つまり、作品の冒頭では映像の焦点深度は非常に浅く、仮想の父親に近づけば近づくほど被写界深度を深くしていきました。 この行程によって、主人公たちを取り巻く世界に初めて耳を傾け、目を向けることができるようになるのです。「音楽が味わい深くなるためには、モノクロのような単調なものではだめです。

その主題の中で変化が必要です。 それが、『セントラル・ステーション』で目指したものです。

ずいぶんワイルドトラック*(映像とは別に現場で収録した音)を多用したのではないですか?

「ええ、駅でたくさん録りましたよ。かなり変わったやり方でね。映像や音を記録していることに気づかれたくありませんでしたから。大抵の場合、エンジニアが1人で、マイクを自分で持って小型のナグラで録音していました。 駅の構内で撮影をしている時間の70%は、カメラを隠していましたよ。

「ビハインド・ザ・サン」では、見応えのある追跡劇が展開されます。低木地で1人の男がもう1人の男を追いかけるのですが、サレス氏は2人が息を喘がせる音を強調しています。 「あの音は、音楽ありとなしで編集してみました」とサレス氏は言います。「そうしたら、あの映画のどの音楽よりも、生音のほうがはるかに効果的だったのです。つまり、生音ほど表現豊かなものはない場合があるということです。

その5年後、ウォルター・サレス氏が「モーターサイクル・ダイアリーズ」を撮った頃には音響技術が大きく進歩し、ドルビー®デジタルが標準になりつつありました。 サレス氏は笑って言います。「『モーターサイクル・ダイアリーズ』にも古いナグラを使ったと言ったら、驚くでしょうね。その理由は、どちらの作品にも非凡なサウンドエンジニアであるジャン=クロード・ブリッソン氏を起用したからです。ジャン=クロードは自分のナグラに忠実そのものだし、私はジャン=クロードに忠実そのものですからね! 私たちは基本的に、非常にシンプルで直接的な方法で作業しました。もちろんポストプロダクションの工程では、デジタル技術の素晴らしい可能性の恩恵を大いに受けましたよ。

モーターサイクル・ダイアリーズ

「コンセプトという点で考えると、この作品は『セントラル・ステーション』で選んだ道筋とはほとんど正反対の方向に行っています。 つまり、2人の旅人が大陸の奥深くに入っていくにつれて、より多くの音に気付くようになるのです。 冒頭のブエノスアイレスでは、使われている音の積み重ねはあまり多くありませんが、アマゾンまで行くと、はるかに豊かな音のパレットが広がります。アマゾンの音の豊かさは、これまで触れた音の中で最も凄いものでしょうね。

しかし、異国情緒に屈してしまいたいという誘惑はあったでしょうね。 そうなると、映画は簡単に旅行記のようになってしまう。

「まったくその通りなんです。でも、私たちは、それが一日のどの時間帯だったのかを上手に説明する音を使えるようにしたいと思っていました。ジャングルの中でずっと続いているシューッという音で暑さを伝えました。 それは暑さをイメージさせ、地上のあの場所で最も強い性質を持つものです。

「アマゾンのシーンでは、もう1人サウンドエンジニアを起用し、DATを使ってジャングル独特の音の収録をしてもらいました。 しかし、そのような音のレイヤーを手当たり次第に使ったわけではありません。 一日のどの時間帯だったのか、登場人物たちが実際にどのような気温に耐えていたのかを、観る人が理解しやすくなるように意識的に使いました。 この点、音はきわめてパワフルで、実際、音楽と同じぐらいの力を持ちうるのです。

サレス作品ではセリフの何%がアフレコされ、何%がブームマイクで録音されたものですか?

「『セントラル・ステーション』と『モーターサイクル・ダイアリーズ』では、90%ぐらいが生音で、残り10%が技術上または演技上の理由でアフレコしたものです。 私は一般人を起用することが多く、生音は私にとって非常に重要です。 また、私の作品はほとんどがロードムービー(*旅を題材にした映画)で、現実味を出すためにそれぞれの場所に深く入り込んでいくことが多いので、やり直すために戻ったりしません。 『モーターサイクル・ダイアリーズ』の吹き替えは当然アフレコです。 ただし台詞のほとんどは、実際に映画を撮影している時に録音しました。 どのぐらい時間がかかるかを知るためです。

誰にとっても嬉しいことに、「モーターサイクル・ダイアリーズ」のエンドロールに流れる曲は、今年のアカデミー賞を受賞しました。 サレス監督は次のように振り返ります。 「実を言うと、あの曲は1晩で生まれたのです。 、音楽はグスタヴォ・サンタオラージャ氏に頼みました。 彼は『モーターサイクル・ダイアリーズ』に使われたすべての楽曲を作曲したのです。 彼とは、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ氏のおかげで知り合いました。 グスタヴォは、『アモーレス・ペロス』で初めて映画音楽を担当し、次いで『21グラム』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』を手がけました。 グスタヴォは、まさに究極のルネサンス的人物です。 『モーターサイクル・ダイアリーズ』でほとんどの楽器を彼が演奏したのですから。 編集が終わりに近づいてきた頃、私たちはふと考えました。 『映画の最後に歌が流れたら素敵じゃないか?』と。 それで、ウルグアイのホルヘ・ドレクスラー氏を招いたのです。 ウルグアイのレオナルド・コーエンと言うべき人物です。 私は一度も会ったことはなかったのですがドレクスラー氏に電話して、この映画が意味することについて話し合いました。 彼は、映画の原作となった本を知っていました。 彼は『ちょっと考えさせてください』と言いました。 ところが、翌日の朝10時ぐらいに電話をかけてきて、『これを聞いて』と言うのです。 彼は徹夜して、早朝までかかってその曲を作曲していたんです。 彼はその曲を自宅で録音し、その録音そのものが映画に使われました。 再録音もしたのですが、彼が自宅で寛ぎながら録音した最初のテイクほどの質が得られませんでした。 それがオスカーを獲得したのです!」

現代映画では、サウンドは体験の50%を占めると思いますか?

「すべての要素が映画の50%を占めるんですよ! ある時インタビュアーがフランス映画の巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督に、優れた映画たらしめるものは何で、何%かと尋ねたそうです。 メルヴィル監督は次のように答えたそうです。 『ストーリーの選択が50%、そのストーリーをどのように脚本に書き直すかが50%、サウンドが50%、音楽が50%、映像が50%、その他もろもろですよ。 これらの要素のひとつでもしくじると、作品の50%を台無しにするということです!』と。

「つまり私たちは、ひとつひとつの要素すべてが全体の一部をなすべきメディアを扱っているということです。 サウンドは、その方程式の中で、きわめて重要な部分だと私は思います。 映画を作れば作るほど、サウンドが作品を解読するための決定的な要素だと考えるようになりました。 たとえば『地獄の黙示録』は、ウォルター・マーチ氏によるあの比類ないサウンドデザインを抜きにして想像できるでしょうか? 『カンバセーション...盗聴』のインパクトをサウンドなしで考えられるでしょうか? これも想像できませんよね。 あるいは、アルトマン監督の『ナッシュビル』や『ウェディング』もそうです。

「作品に対する評価にサウンドが決定的な役割を果たしているということを証明するために、天変地異を主題とするディザスター映画の超大作を持ちださなくてもいいのです!」

映画祭での試写で、サウンドの問題がほとんど全くなくても、サレス氏は、辺ぴな劇場でも自分の作品がきちんと上映されることを気にかけています。

「適切なバランスを見つけることがきわめて重要ですが、人のいない劇場で上映する時にはそれが容易でないこともあります。 なぜなら、劇場が混んでいれば、当然ながらそれが館内での音の伝わり方に影響を及ぼすからです。 もっと厄介なのは、映画がどのように上映されるかです。 たとえばブラジルや他の発展途上国では、サラウンドスピーカーの音量を上げ、フロントスピーカーの音量を下げる傾向があります。 ブラジルで上映されるのはほとんどがハリウッド映画で、字幕が使われているため、人々は台詞をそれほど気にしません。 仮に人々が気にしていたとしても、マルチプレックスの支配人たちは少なくとも観客は台詞を気にしないと考えているわけです。 字幕のない映画、たとえばブラジル国内で上映されるブラジル映画でも、あんなに注意深くミックスした映画が、サラウンドスピーカーの音量調整のせいで聞こえるべきように聞こえないという状況に陥ることもあります。

DVD化する時、映画のサウンドと映像の転送に影響を及ぼすことができると感じますか?

「ええ、ますますそう感じています。 普通は、上映プリントへの転送作業をするのと同じ週に、DVD用トラックと5.1デジタルトラックを用意するからです。 このおかげで、以前よりも少し緻密に作れるようになりました。 しかし、『セントラル・ステーション』より前の作品(たとえば『フォーリン・ランド』)では、DVDへのサウンドの転送は映画公開時の水準には及びません。 だから、実のところ作り直したいと思っています。

カメラのフレームワークを決める時、家庭での画面サイズを考慮しますか? 画面が小さいことによって、クローズアップで撮るか広角で撮るかどの程度左右しますか?

「最初はそういうことは考えませんでした。しかし、たとえば『モーターサイクル・ダイアリーズ』の撮影時には、フレームサイズ1:1.85で撮影し、4:3にフレーム変更されないようにするため、マスキングを使いました。もちろん、地域によってはどうしてもフレーム変更されてしまう場合があります。 しかし、少なくともフレーム内に突如マイクが出現するということがないようにはできます。上映で1:1.85マスキングを使わなければ、そういうことが時に起こります。画面の上部や下部に突如マイクが出てきてしまうのです。 そんなものは見たくありませんよね!」

家庭での視聴体験が、映画館での視聴体験と同等になると思いますか?

「そうは思いません。なぜならフェリーニがかつて言ったように、私たちは大聖堂に行くのと同じように映画館に行くんですよ。 集合的体験をするためにね。 自宅でコメディを観るということは、映画館の中で400人の観客と一緒に観ることと同じではありません。大勢で笑うということから生まれるカタルシスがあるんです!近くの席の人たちが笑い出せば自分も解放された気分になりますし、人から人へと広がる何かが生まれます。 同じことが、感動と共感を呼ぶ映画作品にも言えます。 映画館では、観客から観客へと伝わる何かがあり、そうした集合的体験を唯一無二のものにしているのです。

DVDが家庭での視聴体験を向上させ、映画が最初の劇場公開時より大勢の人に視聴されるようになったということに、彼は同意します。「映画が、5~6年前には存在した境界を越えて広がっていくようなものです。それから、デジタル上映にも大いに期待しています。なぜなら、大都市から離れた小さな町では、映画館を建てたり上映プリントなどを製作するのに必要な観客数が集まらないためです。そういったことは単純ではありません。しかし、デジタル上映とデジタルサウンドなら、世界中の小さな町で映画館での集合的体験をよみがえらせることができるかもしれません。もしそうなったら、配給プロセスの真の民主化と言えるでしょう。

「インディペンデント映画をブラジルやアルゼンチンのような国で買い付ける場合、上映プリントはせいぜい2~3本に過ぎず、それは配給会社にとって最終的な費用がかなりかさむということを意味します。 デジタルディスクを使えば、当然もっと多くのコピーを作ることができ、地域の様々な場所に一斉にコピーを配布することができるようになります。 今ある劇場よりいくぶん小さな劇場かもしれませんが、その結果、現時点では映画に行かないような人々も集めることができるようになるでしょう。ですから、デジタル技術はインディペンデント映画の観客層を確保するために役立つと思います。少なくとも私は、そうなることを心から期待しています!」

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